[&] THE OUTLINE
青山ブックセンター:『THE OUTLINE 見えていない輪郭』発売記念トークショー&サイン会 深澤直人 x 藤井保
THE OUTLINE 見えていない輪郭
短い時間であったが、思いの丈が伝わってくる、素敵な対談でした。
何でも全部分かるように指し示すのではなく、
「よくわからなかったものが、ふわっと分かる瞬間が素晴らしい」
という想いに同意。
「どうやって輪郭を消すか、どうやって真実を見つけるかが大切なこと。」
なんだってこと。
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「THE OUTLINE 見えていない輪郭」出版記念
深澤直人 x 藤井保 対談@青山ブックセンター
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モダンリビングの連載が発端。
2009/10/16 〜 2010/1/31
『THE OUTLINE 見えていない輪郭』展
http://www.2121designsight.jp/schedule/outline/index.html
深澤:
最初、モダンリビングから執筆の依頼があり、それは断った。
写真なら、藤井保さんの写真ならと言ったら、話が進んでしまった。
藤井:
人物ではなくプロダクトを撮影するので、スケジュールに自由があった。
まとまったら展覧会がしたいね。といっていた。うれしくて感謝している。
3ページ写真に使うのは異例のこと。
3つの場面で撮るというコンセプトが生きた。
表現全般に言えるのだが、一つで全て見せるのは
説明的なアングルやトーンになるのだが、
三つで表現するのであれば、抽象的な捉え方が三枚の写真でできる。
三枚トータルで世界を描ける。
深澤:
藤井さんのことはブライトの写真、JRの写真で知った。
そこに一番必要である視聴されるべきコンテンツが
小さかったり、暗かったりする。
マグライトの広告が印象的だった。
非常に奥行きの深い、記憶をたどるような写真。
無印の写真の時も水平線はるかも見えるのだが、手前の草もはっきりと見える。
初めは「スケルトン」(ウィスキーのハイライトの中に遠くの景色が映ったもの)
その後、どんな写真を観ても、あまりにも鮮明で強すぎる感動があった。
写っているものを超えた何かがあったと思った。
どういって撮るのだろうか? 撮影をゆだねてしまわないといけないと思った。
普段は写真を撮ってもらう時には、うるさく注文するが、
今回はお任せしてしまった。
僕の作ったものは語っていない、
どう考えて作ったのかを捉えてもらえなければいけなかった。
新鮮に思った。
自分でもびっくりするような視点、写真があった。
驚きの4年間(の連載)であった。
そういった視点、現前とリアルがあるのだけれど、みえなかったものを見てほしい。
この仕事は意義深いものとなった。
藤井:
プロダクトが事務所に届く。
僕の表現は二次元の表現。プロダクトは三次元。
これほど平面を意識したことは無かった。
深澤デザインであれば、上から見る、横から見ると平面性を得る。
図面の段階で見たものが立体としてここにあるということをイメージする。
そこでデザイナーが美しいと思ったものを写真でもう一回平面に戻す作業をしている。
深澤:
生活になじませようと思ってデザインしているのだが、
リアルに頭の中にある画像を物にしていることが良くわかった。
図面のような構築物をつくっている。
図面のように作るのは難しいこと。
むしろ生活になじむよりも、頭の中のもの。
感覚的に麻痺して、こういうものがあるんだというマジカルなこと。
そう思って考えている。。という図面のような写真を撮っている。
真上とか真横を探しだすのは難しいだろう。
藤井:
障子に映った影絵のようなもの。
バックミンスター・フラーのフラードームで撮影。
障子の前に置いたような、真横を撮る。最も椅子らしいという線が浮かび上がる
瞬間がある。この椅子でなければ、
こういう撮り方はしない。
作為があって作るのではなく、物が置かれて、
椅子がその空間にいる場所は、それしかない。
深澤:
視覚的にみると、良くみるとオレンジ色の表面みたいにみえる。
自然光で撮るという原則のもとで撮影している。
角が丸い椅子であることがわかる。
オレンジ色の表面なのに、角が丸いことがわかる。
十分に奥深く見える。
僕らが見ている世界なのだが。
確かにそうだと思う。
見えてくるまでに時間がかかる。
それはテカニカルなことだと言うが
びっくりしてしまう。
藤井:
表紙のアームチェア。
B&Bイタリアの本社ビルのエレベーターホールの乳白色のアクリルの壁。
これもいわゆる障子越しの陰。
置くといろいろなものがやどる。
雪山に見えたり、砂山にみえたり。
そうするとカメラの位置が決まる。
ディテールにやどった風景を導かれるように撮っていくのかもしれない。
深澤:
導かれるということは、写真は虚像でしかない。
いくらでも脚色できる。誇張することもできる。
そういう道具として使われてきている。
その中でできるだけ自然な風景をそのまま撮るように徹しているのだが
こんなふうに撮れるのがすごい。
そのリアルが一番重要。作家の意図。
こういう風につくろうかということが匂えば、匂うほど嫌なものになる。
なるようになる、そこに存在したのかが、いかに見えにくいことなのか。
そういったことがアウトラインとして表現されている。
藤井:
自然光のはいるスタジオの様子。
上がガラスの屋根になっていて、白い布からディフューズされた明かりがはいってくる。
今回の 21_21 の展覧会でスタジオの原寸大を再現した。
そこの光を是非見てほしい。ファインダーを参加者が見ることができる。
大胆な提案。撮った写真とファインダーを同時に見ることができる展示。
深澤:
陰が無い。コマーシャルフォトの表紙。
記事の中の撮り方のレクチャーで驚いた。
陰が無い。ということ。輪郭が無いこと。
赤の色が外の空気にシミ出ているシャンプーのボトルの写真。
陰が無い写真を撮るのには、何かあるの?
藤井:
光は人をどういうふうにみるのか?
朝日から夕日まで。
谷崎潤一郎の『陰翳礼讃』、障子越しの光。庭の石に反射した光。
面光源で陰はなく、反射した光ではない、
内面に蓄えた光を発光している。
これだ!という想いはあった。
そういう物自体が発する何か、光やアングルは常に意識している。
深澤:
方位光、全部光りで囲まれているという表現。
藤井さんの撮っている写真の雰囲気。
陰を出すということ。
彫りの深い写真をかっこいい写真をとりがち。
陰を撮るのが常識的だと思っていた。
藤井:
深澤さんのプロダクトは直線、直角という表現が少ない。
深澤:
直線っぽく作っているけどそうではないんだろうか?
藤井:
すべてが R(曲線)で作られている感覚がある。
そうすれば、階調がでる。
立体物だからそういう物が宿っていく。
深澤:
エッジの処理、アウトラインの処理が0なら、手が切れてしまうほどのもの。
僕らが見ようとしているものは、まったくの「0」なのか「0.5」なのか。
1mm の半分をグラデーションで表現している。
人間は全部はっきり見てしまうが、実はぼけているもの。
面とか線が切れないようにつくる。
いちばん情報を得ようとしている「目」が見るということの他に
4つのセンサーが立ったときの方が豊かだ。
谷崎潤一郎の本、現代の部屋の中が明るくなってきたことを不満に感じる。
暗い部屋の中で黒いお椀で飲むと、
味、香り、でお椀の感覚を楽しんでいる。
明るくなると全部見えてしまい、それは楽しくない。
暗いところの線を見せないと面白くない。
見えなくなった距離に
闇の中に置いたことによって、あるはずの無いものが見えるようになった。
僕らには到達できないところが見えているんだろう。
意図的ではない?
藤井:
そうやって言ってくれるのはうれしいけど、
本当は見えていないのかもしれない(笑)
深澤:
こういう風には普通撮影しない。
ちょっとだけ曲がって映っている。
傾くことによって、世界がリアルになる。
無地の CD プレイヤーを撮ったときに、自然なんだな〜と思った。
自分の物が風景の中にはいっている。
藤井:
壁かけCD。スイッチの ON/OFFがコードでできている。
電化製品を撮るときはじゃまになるので、なんとか隠そうとする。
スイッチも含めて絵にしなければいけないとおもう。
そう見えてくると撮れる。
深澤:
構図が決まるまでは、早い?
藤井:
いつもスケッチというか、絵を書いている。
こういうふうに撮ろうとスケッチを書いているが、
だんだんやりながら変わっていく部分がある。
それが大事なことかもしれない。
深澤:
これもスッと撮っているように思える。
藤井:
大きいもので、あっちに持っていったり、こっちに持っていったりした。
煙突のある建物、後ろのアングル、バウハウス風の建築。
ドイツの家具メーカーが繋がったときに撮れたようなきがした。
深澤:
あたまの中でストーリーを考えてとっている。
藤井:
何か見えたときに撮ることができる。
深澤:
足が三本しか見えない椅子。
藤井:
ライトの写真。
光源が直接見えないように乳白のふたがしてある。
周囲にもともとグラデーションがある。
球形のカーブにグラデーションがある。
直射光や直角を排除している感じがある。
深澤:
そうかもしれないな(笑)
輪郭をぼかす。
人間と社会との接点を考える。
35歳前後でデザインが大きく変わった。
形を与えることには意味が無いと思って、変わった時代があった。
今はジオメトリックなものをやっているが、
生活の中にはとんがりすぎているので、ちょっと味付けしている。
頭の中で描いた形をピュアに作ろうとしている。
実はエッジがシャープにはできない。
人工的であることを消そうとしている。
一番単純な照明器具。
ものをみると単純。
たたんだ状態。フラットな状態から数ミリ持ち上がっても陰がつく。
数ミリ上がっても光りだす。
見た感じ同じだけれども違う重みを入れている。
世間に溶かそうと思いながら、マジカルな仕組み。不思議な感じがする。
写真集を見てもらうと良くわかるのじゃないだろうか?
■質問コーナー:個人情報以外は全部話します(深澤:笑)
Q:藤井さんが言われた、3枚の写真がどうしても必要だった。
1枚の写真だと説明的すぎる。3枚必要なのはなぜだったのか。
藤井:一枚で全てを表現するのは、説明的な要素を持ってしまう。
表現として豊かなのは、全てを説明せずに
物がもっている一番美しいところ、
ドラマチックなところ一点を見せて、
見る人が想像して感性する表現が豊かな表現。
全部わかるけど、つまらない表現がある。
深澤:
あえて見せないこと。
色校の時に何が写っているのか分からないもの。
モノが写っているのに、どこに焦点をあてたら分からないものがあった。
藤井:
白の中の白い表現、黒の時の黒い表現。
ギリギリのところが面白い。
深澤:
目をこらしても見えない表現がある。
Q:ピントの合わせ方について。
今回の趣旨が「輪郭をぼかす」でした。
写真は必ずどこかにピントがあっている。
イスの写真。後ろにピントがあっている。
なんで前ではなく後ろにピントがあっているのか?
藤井:
写真家がどこにピントを合わせるのかは、どこを見ているのかということ。
人を撮るときは目を見るので、目にピントがあう。
プロダクトも同じこと。
アラビア文字みたいな魅力が曲線にあった。
フォーカスが外れると白の中に色がにじんでいく。
「空気にとけ込んでいく」という表現。
椅子の場合、前に合わせるかということではなく、
フォルムをどう見せるか。
書道でいうところのにじんだ表現のようなもの。
見えてきたら写真が撮れる。
それまでは迷うことがある。
いろいろ試行錯誤する。
ポラロイドを撮影して本番にいくばあいもある。
見えたときは写真が撮れる。
そこに行き着かないときは撮れていない。
そういう時は撮りなおす。
写真は相手がいないと撮れない表現。
物の実在があってとれる。
いちばんいいところを撮る。
旭山動物園の素晴らしい「行動展示」。
動物の一番素晴らしい「動くところ」を展示していること。
いかに動物が「幸せ」かが分かる。
深澤デザインの「生態学」と同じだと思った。
サルが芸を覚えたり、訓練したわけではない。
進化の過程でえた能力をそのまま見せているのが素晴らしい。
芸でないものを見たい。
深澤:
ものが知覚しているのと同じかもしれない。
Q:藤井さんは何度も試行錯誤されているようだが、
深澤さんは頭に描かれたものをプロトタイプとして作るのか、
プロトタイプを作りながら完成に近づけているのか?
深澤:
後日デザイナーがどういうスケッチを書いているという展覧会をやる予定。
それを見ても人それぞれだということがわかる。
大きくわけて2つのやり方があって、
描きながら構築していく人とそうでない人がいる。
自分は九分九厘きまっていて、
頭の中にあるものを作っている。
あとは詰めていく作業。
そこにできるものはすでに頭の中に決まっている。
どちらのデザイン方法いいというものではない。
プロトタイプは現実のものを頭に近づける作業。
95% できているものの 5% へ近づける。
Q:技術的に思い描いた形に近づけられない場合は?
深澤:
思い描いたものに近づけるよう努力する。
ピュアな考えほど破綻が大きくなる。
戦いというか、アイデアを出してやりあう。
デザインができてから近づけるという作業を続ける。
Q:全てを見せるのではなくて、見えていない部分を想像できることが
全てを見せるよりも面白い写真になるという考え方とは?
藤井:
どちらの表現がえらいのかということではない。
世の中にあるコミュニケーションとして
どちらが大人でどちらが成熟した社会かということ。
そういう関係の方が見せる方も見る側も幸せ。
映画でも文学でも全てそうだと思う。
よくわからなかったものが、ふわっと分かる瞬間が素晴らしい。
Q:深澤さんの、neon など直線的なものが多いとおもい、
輪郭をはっきりさせたいのかと思っていた。
輪郭はっきり派と、輪郭みせない派なのか?
輪郭は日常にとけ込ませるものなのか?
深澤:
すばらしい質問です。
まったくの対局にあると思っていて、
両側から語っていこうというもの。
僕の輪郭は、僕のもっている輪郭ではなく、
人が生活の中からあみだした輪郭。
見ると「これ欲しかった」と思わせる輪郭。
僕の意思を消して、皆が描いている輪郭を見せようと思っている。
現実世界に表されている「輪郭」を撮るとき、
輪郭ははっきりと見えてしまうことは無いのが「風景」。
もう一つのリアルな視点から「輪郭」を描いている。
概念として共有している何かを描こうとしている。
使う身としてはとんがりすぎてはいけないので、
エッジをわずかに人間が痛くないように調整している。
見た目はアイコンとしてエッジが立っているが、触ると柔らかい。
■まとめ
藤井:
最後の言葉を(笑)
今日は皆さんから1000円もらってますよね。
なので、深澤さんの面白い話を暴露します。
深澤さんの「スーパーノーマル」という言葉を聞いていて、
すごく好きな言葉。
その象徴的なことを紹介します。
普通でありながら、超えているということ。
藤井:
ヨーロッパで深澤さんデザインのソファを展示していたら、
おばさんがずっと座っていた。展示物だと思っていなかった。
深澤さんはがっかりしていた。
「それが本当のスーパーノーマル」だと。
深澤さんはどう考えている?
ミュージアムとかギャラリーとか、ディスプレイしているお店で
尖って目立つ表現と、
静かにそこに実在している表現と、
写真と同じ表現かもしれない。
深澤:
スーパーノーマルはデザインを感じないということ。
目的とは凄い。
目的とは達したけど、寂しさを感じる。
僕の中の矛盾でもある。
藤井:
森の中の公園のベンチ。
あまりにも通俗的で面白くないと思った。
坂本龍一の more trees プロジェクト。間伐材のベンチ。
木に戻すという意味で、一度はベンチを立てて撮影した。
けれどもそれは止めた。
ベンチに向こうを向いて座ろうという写真を撮った。
凛とした感じにとれた。
風景と共存して、風景を美しくすることができる。
深澤:
「ベンチは後ろ姿がいいんだ」と言っていましたよね。
僕も表現者として本を作っている。
仕事としてデザインを知ってほしいからつくった方ではない。
皆と共有したい。
仕事とは別の意味で作った。
どうやって輪郭を消すか、どうやって真実を見つけるかが大切なこと。