展示空間のデザイン
アキッレ・カスティリオーニの誘導の科学
多木陽介氏(伊東豊雄建築塾)
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多木陽介によるプロダクトデザイナーとしてよく知られている
アキッレ・カスティリオーニ氏が手がけた展示空間デザインに関するレクチャー。
人の心理や行動を考え尽くした展示テクニックの数々。
建築、空間デザイン、キュレーションに関わる全ての人にお薦めの内容でした!
#写真は後日追加します!
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今日はですね
展示空間のデザインの話をさせてもらいます。
そもそも本を書くきっかけになったのも、
展示空間の模型をビデオで撮影したのがきっかけです。
カスティリオーニは2002年に亡くなりました。仕事にはもう戻れないとなった時に、
娘さんに頼まれて、スタジオがそのまま残るかどうか分からないので、
ぜひ記録に残したいので、ビデオに撮ってもらえないかと頼まれた。
娘さんは親友なので、軽く
模型を撮影しはじめたら、なかなか終わらない、聞いてみたら、100個以上あって、
全部撮影するのに1年くらいかかった。
AXISさんに模型のことぐらいなら書きますと言ったら、
連載するようになって、それが本になってしまった。
展示空間というのは、プロダクトの作品が250くらい。
展示空間の設計はその倍くらいの設計をしていた。
ショーウィンドウから、相当大きいものまである。
相当な数を作っていて、
「誘導の科学」と書いているが、科学といっていいくらい、
明確な基準を持っていた。
そういうところを具体的にお話していきます。
他の方々の作品も混ぜながら、
ポイントとしては、どう考えて、どう展示をつくっていったのかを説明します。
日本語での語源
展覧 = ものを広げて多くの人に見せること
展覧会を作るというのは綿密な技術もあるし、ルールもあるし
コミュニケーションの技術。
ごく日常でも使われている。
スーパーマーケットというのも、なんとなく行って、入って買っていますが、
なるべくたくさん買うようにうまく仕組まれている。
スーパーは他と違って、だれでも簡単に出入りができます。
だれにも話しかけられないで、レジまでいけるし、
言葉が分からないひとでも利用できる。
はいりやすいというのは、相当いいアイデア。
入り口には生鮮食品が並んでいて、野菜、果物、
魚、乳製品、パスタ、オリーブオイル、洗剤とか、清涼飲料水とか。
アメリカのスーパーマーケット
同じようなジュースが並んでいるように見えて、
一番良く売れるジュースは人間の目の高さにあり、
売れる棚は商品でいっぱいにしておくほうが良い。
商品が少ないと、貧乏くさくなって、人が寄ってこない。
ストックがあふれても、売れる商品は在庫を持っておいたほうがいい。
スーパーマーケットの構成は、人の心理をうまく操作するように出来ています。
こういうノウハウは、戦後、建築家やデザイナーが
展覧会のデザインで培ってきたものが、
高度成長のあとに店舗のデザインにすっかり吸収されてしまった。
ユニクロとかもそう。
問い:最近一番印象に残った展覧会は?
伊東さんからなにかありますか?
伊東:ベネチアビエンナーレです!(笑)
一般A. パールクレー。かなりの点数見た事が無い作品が並んでいた。質感が新鮮。
一般B. 千葉の美術館で。考えられていなく、雑然と置かれていて、見る人が自由に見ることができた。
一般C. 子供達の作品を作る過程が見られてよかった。
一般D. ぱっと浮かんだのは伊東さんのミュージアム。転がってみると気持ちいい。行為自体が気持ちいい。
扇島にある展望台でコンサートがあって、石段で転がって音楽を聞いたのが印象に残っています。
一般E. 建築家の展示で、スタジオムンバイ展。建築家のアトリエを再現したようなもの。
普通は構えてしまうが、そのギャラリー間でやっているものは、自分と展示物が対等で自由な感じがした。
一般F. 幼少のこと、エッシャーの展覧会。ファーストインプレッションで見るのと、目を凝らして良くみるのとでは違う。
質問はこのくらいにして....
こういう作品が良かったというのがありますよね?
作品が良かったと思えるのも、ちゃんとした見せ方をしていたから。
それを肌で感じるように見せてくれなかったら、おそらく感じられたような感動はなかったかもしれない。
スーパーマーケットと同じように、
こっちが気づかないうちに、見せられている。
個々の展示以上に、全体にある物語や意味、雰囲気とか、
そういうものが浮き上がってくる。
今日お話していくなかで、単に展示物の善し悪しではなくて、
ある意味フィクションが生まれてくる。
その中で、ものをある商品の中。
CMが身近なもの。
去年くらいまで、よく流れていた、ソフトバンクな変な一家のTVCM。
非常に奇妙な一家なのだが、それがお互いに仲いいコミュニケーションの
道具である電話の宣伝になっている。
このイメージは日本の人のほとんどが覚えている。
展覧会の最大の目的は、
展示会は短期間のもの、それによって、永遠に印象づけるのが重要。
フィクションの形をとることによって、商品だけではない、
記憶の中に印象を作る。
CMは短い映画のようなもの。
展覧会のことを良く映画にたとえていた。
■展覧会 = 映画に近い体験
展示会を歩き回って、自分たちは観客であるとともに、映画の主人公になる。
そういう映画みたいなもの。
映画のように作るというとは何をしないといけないかというと。
何を語るか(シナリオ)
いかに効果的に語るか(演出)
普通だとあるテーマに沿って、専門家の先生がキュレーションして、
デザイナー/建築家が空間を作るという関係がある。
起承転結をつけて論理的な流れがないといけない。
そうやって出来て来たシナリオの1シーン1シーンをどう演出するか?
彼の考えの中では、美しい空間を作ることではなくて、
人間が歩いていって、結構な時間を過ごすなかで、
一時間、二時間、会場からいろんなコミュニケーションを受ける。
活発なコミュニケーションの場として。
観客はどういう振る舞いをするのか?
それを知ってないといけない。
■観客はどう振る舞う存在か?
観客というのは、ちょうど、森の中をえさをさがしてうろうろする動物のようなもの。
動物の場合は嗅覚だが、人間の場合は、好奇心にしたがって、カオティックに歩き回る。
二つ態度がある。
もうご自由に見てくさいいという態度もあるし、
きちんとしたシナリオのものに、人間を誘導してみせる場合もある。
好奇心にも、いろんな段階がある。
4つくらいに相手を分けていました。
1. 大雑把な需要で満足する人たち
2. きちんと理解したい人たち
3. 細かいことにもうるさい人たち
4. 子供、若い人たち
1.の人にも強く印象に残るようにしなければいけない。
2. の人、いったい何がここで起こっているのか?きちんと論理的に説明があって、
その後、非常に分かりやすく見やすくつくってあることが必要。
鑑賞を助けるように作ってあること。
特別な才能がなくても、注意すればできること。
基本として考えておいてください。
3. 主題になっていることをすでに良くしっている人が見に来ても、
なにか間違えてないか?と重箱の隅をつつくような人に対しても
きちんとした仕事をしなければいけない。
4. とにかくたいくつしないように楽しませる。
20世紀に活躍中のピーターブルック(演出家)の判断の基準は、
「たいくつ」自分たたいくつし始めたら危険な兆候。
4つが全部はいっていて、4つの相手を考えて展示空間をつくっていく。
■演出ポイント
1.合理的配置
2. 変化
3. 驚異
見やすく、論理的にできているという合理的な配慮。
展覧会というのは長い時間みてあるくので、変化が無いと飽きてしまいます。
どこか、ハッとさせるものが無いといけない。
非常に自然に流れていても、作り手は非常に細かいことを作り込んでいる。
どこかに強烈な印象が残るシーンがないといけない。
■合理的な配慮:
論理的構成
みやすく、分かりやすく。
63年のもの。ミラノの大聖堂にある、王宮での展覧会
「水の道」河川の文化についての展覧会。
ミラノは町中に運河がたくさんあったが、車文化になって埋め垂れられてしまった。
1963年ごろに復活させようという動きがあって、その支援のための展覧会だった
大きな空間だったのだが、工事現場で、多いをする時の安い材木の板を使って、
それで一種の水路みたいな通路を改めて作ってしまって本物の模型やグラフィックがあって、
プロジェクタがあって、いろんな音が使われ、五感に刺激を与えてくれる内容であった。
水運の経済だったり、イタリアが19世紀にどんな歴史を経て来たか。
その中で水路の歴史や、川の周りの民衆の文化だったり、言語だったり、
いろんな項目に分かれています。
こういう形ではっきり構成を作って先に進めていく。
ただ、これはキュレーターの仕事なので、そこは深めないで先にいきます。
■見やすくわかりやすく。
焼き物の茶碗などを見せるときに、どんな高さに置くか?
どんな背景の上に茶碗を置くか?
例えば、シルエットがはっきり見えた方がいいので、
低いところに置いても意味がない。見やすい高さがある。
どんな展覧会でも言えること。
見やすい位置に展示されている。
キャプションが膝の高さにあって、しゃがまないと読めないものもあった。
同じ展覧会で、クライマックスを生み出す空間を作るとか。例としてあげました。
作品を見せていくときに、照明をどういうふうにあてるか?
見せるべきものが浮かび上がってくる。
悪い例:全部かげになってしまい、よく見えない。
■「もう半分の前衛」展 1980
実は断面を見てみると....
大きい空間で、小さい絵を見ると、ショボく見えてしまう。
もっと親密な空間を作ろうということで、空間を小さくしようと考えた。
非常にうまいこと間接照明をつかって、人の目に照明が入らないようにした。
ガラスがかかっている絵で光が目に入るにはうっとおしい。
壁のところを必ず右から左に歩くようになっている。
キャプションが書かれている方向と反対には絶対に歩かせるな!
順に見てもらうため、一つの壁は使わない。
油絵を見てもらうためには 70ルクス以下。
あまり明るい照明は使えない。
さんさんと明るい季節の場合は?
入ってすぐの空間を暗くして、イントロの映像を映写していた。
しばらく見ていると、部屋は暗いので、
それに目が慣れると、薄暗い部屋に入っても
薄暗いと思わないという錯覚をうまく使った。
■光について。
スイスのパウルクレーセンター レンゾピアノ建築。
びっくりしたのは絵の照明に立つと、自分が映らない。
絵の真っ正面にいる時には光に当たらないように、調整されている。
ガラスで保護されたキャンバスにたっても自分が映り込まない。
フォルクスワーゲン、フェルナンデジエ展示、吹き抜けの空間。
屋根をかけないで作った。
必ず達成しようと思っていたポイントは?
まず、絵をかける壁には、絵以外のじゃまなものはいっさいつけるのを止めた。
キャプション、値札みたいのをつけるのを全てとってしまって、
サラの壁にして、なにもじゃまなものが無いようにした。
観客があまり近づかないようなしきりを考え、台のようなものを設置した。
わざわざ踏み越えてしまうことも無い。
台の上にキャプションを書くようにした。
合理的でシンプルで邪魔にもならないものになった。
それだけでは満足せず、
台にの傾斜を、逆方向に傾かせた。
絵を見ているときにはキャプションに気づかず、近づいた時に初めて気づく。
なんか人をびっくりさせてやろうというやんちゃなところがあった。
観客が「ハッと」する時、心が動いた時は、非常に印象に残る。
ただ論理的にシンプルにうまく出来ているという状態だけでは
我慢できなかった。
論理的に考えていくとなかなか出来ないが、
最後に出来たものを見ると非常に良くできている。
びっくりするのは一回だが、その一回だけでいいのだが、ふれあいの瞬間があればいい。
こうやってびっくりさせる、おどろきのポイント。
ここまではだいたい論理的で合理的な思考のつみかさねで出来てくるところだが、
そこからより活発なコミュニケーションを。
■変化
展覧会:あるきながら見て回る
→時間がながれる
→この時間が「変化」に満ちていること。(生き生きしたシークエンス)
ちょうどある時間がたった時に、がらっとなにかかわること。
同じリズムで続くと退屈になっていくる。
変化は注意力を常に喚起する。
うまい俳優だと一つのセリフの中に三つの意味、ディテールを詰めることができる。
観客の注意を引き続けるポイント。
多様な空間が織りなす空間。
部屋ごとに風景が変わっていく。
バロックの建築展
今だとCGですが、クライアントに見せるために木の模型を相当精巧につくり、
想像図の油絵や、ビデオや、いろんなメディアが混ざって一つの展示を構成していた。
■動きのある空間
部屋があった時に、グリッドみたいに整った展示は作らない。
そういうものはスタティックで面白くない。
壁がまっすぐなものは皆無。斜めに置いてみるとか。
娘さんがジュエリーのデザイナーなのだが、展覧会をする時に、
おおきなテーブルを置いていたのだがつまらない。テーブルを斜めにしたら急に空間が生き生きしてきた。
1984年の個展。動線が動きをうむような形で置いていく。
空間的に動きが出てくる。グリッドにしてしまうと、つまらない。
「光と影がないと音楽にならない」アキッレ・カスティリオーニ
悪い例:空間は素晴らしいです。
1m x 150くらいのもの。照明に対する配慮が無かった。
全部均等に同じ明るさだった。
別の場所での展覧会。
空間の中に明るさの濃淡があることによって、
空間の中のエネルギーが描け、観客は自然と光に寄せられていく。
真っ平らな照明は避けよう。
光によって、空間にリズムができる。
部屋と部屋。照明の明度が違うと動きがでてくる。
個展:
全体的には薄い照明の中に浮き上がってくるような照明。
光の濃淡がかなり変わってくる。
ルートの中にモノが有るだけではなく、空間にリズムが出てくる。
■光の誘導機能
バレンシアの現代美術館。光には誘導機能がある。
正方形の大きな空間があって、周囲に展示の場所がある。
ほとんど暗くて商品のところだけあかるく浮き上がっている。
中央の廊下だけ明るくなっている。人が自然と集まってくる。
古代の神殿の内部のような照明になっている。人の動きにもうまく機能する。
■連続する空間の生む変化
空間的に変化を取り込んでおく。
ガビーナ。イタリアのエディタのショールーム。
とにかく段差がそこら中にある。子供なら遊び回る。
床が平らではないということは、絶えず視点が変わるということ。
空間を肌で知覚する仕方が常に変わる。
視点を変えるのに、非常に有効な手。
■モンテカティーニ 化学製品を作っていた会社。
まっすぐな壁や通路はほとんどない。
先があるなと思いながら、先は見えない。
回遊式庭園と全く同じ作り。一瞬一瞬はクライマックスがあるが、先はわからないという作り。
全体が見通せる段がある。
自分が迷路の中入ってしまうと、全然別な体験になる。
一瞬一瞬はあるのだが、先は見えない。見えないことによって、好奇心をかき立てる仕組み。
「デザインと住処(イタリア)」
入り口では先が見えない。いちど上に来ると全体が見えるという体験をして、
中に降りてしまうと、完全な迷路を体験する。
上から見たときには想像もしなかったような好奇心が沸き立てられる。3つの体験。
迷路というしかけ自体が、風景が変化していく仕掛けになっている。
入り口から入ってくるときには、かがり火のような4m 2000W の照明。壮観。
スペクタキュラな照明。
階段をあがると、風景が開ける。
入り口の前のところ、高台に登ったところ、降りたところ、三種類の体験。
■驚異
MOSTRA(展覧会) MOSTRO(怪物) そっくり。語源が共通している。
驚異、驚嘆:普通ではないもの
→何かすごいもの
→強く印象に残るもの
一番驚異驚嘆した展覧会。ディーファー現代芸術家。テレキャストしたコンクリートを積み上げた
7本の塔。巨大な倉庫。
文明があぶなっかしいモノだという象徴。あまりにも大きいのもあって、
頭で考えるよりも、ショックを受ける。
人を惹き付ける一番の手としては、普通じゃない空間。
普通じゃないサイズ
■異常なサイズ、異常な空間
全国ラジオ展の展示。巨大なラジオ。
殺虫剤の展示会。対処となる虫達を巨大な模型として見せた。結構びっくりして見ている。
空間のほう。
ある程度の空間には慣れています。
そのどれかが少しづつ歪んでいたり、途方も無く高かったり、段差があったり、
一つでも違う要素があると「面白い!」と感じる。
普通じゃない部屋を心がけていた。
「水の道」展覧会の一番最後の展示。深い水路のようなダムのような空間。
身体的に印象に残る空間。
ミュージアムのコレクション。
何が普通でないかというと、壁が浮いている。
絵がかかっていくのだが、壁が下に向かって傾斜している。
一番最初のモチベーションとしては、会場の光が目に入らないで
まっすぐ落ちるように。向こうに立っている人の足が見えるのが面白い。
迷路の展示をした空間と同じ。
広さを強調するように天井を 2m に下げた。
吹き抜けのように逆さまの井戸のような空間があった。
「科学によって明るい明日を築きましょう」というテーマ。
美しいグラフィックで、化学の力で健康な食品を作りましょう。完全な身体を作りましょう。
未来の交通手段を考えましょう.... という地球から宇宙にむかっていくような展覧会
鏡を非常にうまく使った展示空間も。
「より安全な明日を作るための化学」
グラフィックはマックスフーバー
周りを見渡すと、見えるのは人間ばかり。
ある意味、上を向くからだというのは、見ている人間は上を向いている。
皆が上に向かって、ベクトルが揃っている。
機械化された身体のようなものを表現
かなり身体的に驚きを感じられた空間であった。
身体的にかなりショックがあったもの。
ミラノサローネで吉岡さんがレクサスの展示。
霧の中に見えるようなディスプレイ
天井からビニールの縄跳びのようなヒモを数センチ間隔で釣ってある。
外から見ると。
中に入ると、霧の中にいて、距離感が無くなる体験。
身体的に驚く体験。子供達はおもしろがって遊んでいた。
外から見た時にも予想もできない体験だった。
予想ができたのは、展覧会の仕掛けとしては何か足りない。
■鏡によるイリュージョン
鏡を良く使った。50年代60年代はCGも無かったので、鏡を良くつかった。
鏡があることをなかなか気づかない。自分が鏡に映らないと、鏡だと気づかない。
鏡を気づかせない仕掛けがある。
下に鏡が張り巡らされている。
奈落のそこのように永遠に反射する合わせ鏡。鏡が高いところにあれば
見えてしまう。最初上の鏡には気づかない。勝負は一瞬でつくので、
最初に気づかせないで見せられるかどうか。
分かっててみればたいしたことないが、知らないで見るとびっくりする。
■照明(光)
光を使って人を驚かせる仕組み
1954トリエンナーレ。3メートルの布の上からの照明。
光った雲が効果的に見えるように、天井を真っ黒に塗った。
相当壮観であった。
小さい電球を無数に吊るしてつくったポエティックな照明
フロスのパーティ、ペンダントランプを200個釣って、美しかった。
昨年のサローネ。東芝の展示。
ストロボの周期が変わることで、水が落ちるスピードがあうと
水滴が止まってみえる。水が被写体となっているのが面白かった。
水が落ちているのはすぐに分かる。砂利がひいてあるので、すぐにわかる。
音がなかったら、もっとビックリすると思った。
音がしないで水滴が止まっていたら、一瞬何が起こっているのか分からなかっただろう。
別の音を流すか、水滴の音が出ない仕組みにするか。
音が出なかったら数倍びっくりしたはず。
「ファッションの原動力」使っていない駅の中に高さ7m の印刷した布。
会場を設計する前にカタログが出来ていた。そのカタログを作った人と、
会場構成をやることになっていた。カタログを見たグラフィック イタルルーピ。
文字で語らなくてもグラフィックを通してファッションが機能することを語っている。
カタログのページを張り巡らそうと考えてできたのがこの展覧会。
他に洋服もなにも展示は無い。
■音響効果
五感にいろいろ働きかけるという意味。
水の道の展覧会の時にも、川や水路でやっている音や、周りの音、言葉など
いたるところに、いくつか章立てができるように1シーンごとに関係のある
音声をかなり流れていた。
イタリアの国営放送の展覧会。テレビが始まったばかりのころ。
国営放送ライの依頼によるもの。放送がどういう風につくられているのか?
という基本的なことを啓蒙するための展覧会をいたるところで移動展示した。
テレビも映画も静止画像が流れることで動画になる。
そういったことを人に分からせるために、ドラムがあって、絵がかいてある。
止まっていたり、回ったりする。回り出すと、全然別な絵が見えてくる。
テレビなコミュニケーションはダイナミックなものだと
コンセプチャルに伝えていくもの。回るたびに音の仕掛けもあった。
大都市と未来の都市展
はいっていくと、床がふかふかになっていて、足音がしないようになっている。
床の音がしないのは不思議な空間。
飛行機の離着陸の音が聞こえてくる。
■ユーモア、皮肉
かなり人の知的な部分にひっかかるユーモアが使われていた。
外から見るとビジターそのものが見せ物になる。
1984年、仕事をはじめてから40年くらい。思いっきりふざけてみたもの。
この展覧会のテーマは、普段見慣れたようには見えないように展示した。
巨大な鳥かごをつくって、洗面器具を見せると、巨大な鳥用に見える。
このベンチは「月面着陸」というガーデンチェア。
ガーデンチェアを斜めに設置すると、虫に見えてくる。
我々の知覚はいい加減なもので、いろんな可能性がある。
道具やものを集めてきて、いったい他の何になるか、いつも考えている。
機能を転用して、また別の作品を作るという想像力があった人。
レオナルトという職人さんようの脚立。トランプのピラミッドのように見える。
すべてが巨大なサイズができていて、自分が小人になったような不思議の国のアリスになった気分。
魔法の庭という感じの展覧会。
いろんな想像が生まれるような空間。
リキュールの中に香草が入っているもの。
おもいっきりスタックした椅子。
巨大なカメラの中が明るくなっていて、照明器具の展示場になっている。
折りたたみいすを思いっきり並べたもの。
金ピカなもの、なるべくシンプルに安い材料で作るようにしているのだが、
なぜか高級商品になっている。それに対する皮肉を投げかけている。
リクライニングチェアを組み合わせて観覧車風のものを作った。
猛獣の檻の中に、子供部屋のセット。親の強迫観念をセットにしたもの。
照明器具がひとつひとつ順番についていく。
■「化学によるより豊かな食料」
最後に、非常にいままで見て来たいろんな要素を見事につかっている展覧会。
これから我々の食料はどうなるんだろうか?
大きな展覧会場の中に、それぞれテーマがある。
入り口:骸骨が転がっている砂漠。薄暗いところ。
病院で赤ちゃんが生まれてきたときにつけるリボン。赤ちゃんの鳴き声の音がする。
人間はどんどん増えていくことを示している。
次の空間に行くと、見えてくるのは、舞台の書き割りのような、豊穣な空間セット。
最後に未来派の絵のような、化学の力で。インダストリ礼参。
全部の部屋がかなり違う。大きな映画のようになっている。
自分がその中に入って、部屋から部屋へ。
展覧会はなんでも作っていいのか?
倫理的
会社の福祉厚生。マネキンで表現。
これはちょっとウソだと思い、そのまま展覧会にするのはためらいがあり、
マネキンがどうもグロテスク。
かなりはっきりとデザインを倫理的なものとして使わなければいけない。
展示会づくりのノウハウに関しては終えようと思います。
こういうノウハウは次の時代に、消費空間に吸収される。
また、現代より人間的になってきた。
ボローニャの図書館。昔証券取引所だった建物。
図書館作りのフリーランスのプロフェッショナル。「知の広場」という本。
現代の新しい図書館の傾向。まさに広場のように簡単に誰でも入ってこれる。
図書館の利用率が低い。市民のたった10%の利用だけでいいのか?
公共図書館は人に使ってもらわなければいけない。
本を借りるだけでなく、いろんな機能を持たないといけない。
図書館の中にカフェがある。
ここに来るまでに、いっさい何のカウンターも関所もない。
普通の図書館は入ったらすぐにカウンターがあったりするが、
慣れない人にとっては心理的なバリヤーになってしまう。
置くにカウンターがある。単に待ち合わせに使ってもいい。託児所もある。
2階は書架。三階は展示場。
スーパーから習った、人が入りやすいという事柄に習った。
実は、いろいろ培った展示会のノウハウが一世代2世代移って来て
ロンドンにあるアイデアストア(図書館)
移民が多い土地で、英語の本が読まれなく、利用率が低い図書館であった。
立地が非常に考えられていて、人が来やすい場所にある。
入りやすさもあるし、開館時間も考えられている。
曜日のよって違いがないように、曜日ごとに違いはなく揃っているほうが良い。
サンジョバンニ図書館。カウンターが入って来た人の真ん前にあると
ためらうが、横にあると、入りやすくなる。
商業スペースから学んできたところがある。
中で動く人たちの心理をどうやって観察するのか?
図書館の禁止事項の表示が無い。なぜか? 人が止めればいい。
展示会の技術が、商業空間に移っていったが、
また戻って来た。人がコミュニケーションする場が街に戻ってきた。
知の広場としてのパブリックライブラリがある。
Q&A
Q. 映画みたいなものは時間を固定する表現形式。見る人が同じ時間で同じものを見る。
本みたいなものは時間を固定しない。見るひとのスピードでみる。展示も時間を固定しない。
見る人の時間の速さを誘導するための工夫は?
A. どのくらいの時間で見せようというのは考えていた。毎回展覧会をするのは実験でもある。
人が何分くらいで出るのかを計っていた。この仕掛けだとどのくらいのスピードで歩くなど。
タイムを計っていました。
見る人が自分で作っていく映画なので個人差はある。
Q. スタジオにはミュージアムのようにいろんな道具、デザインのものが山のように置かれていて....
という話。ビデオで撮影されていましたよね? 大学で講義に行くときに、机にばらまいてデザインの話をした。
というあたりを簡単に....
A. 偶然そういうシーンに出会った。
質問がどうもつまらなかったらしく、先生が居なくなってしまった。
一見ガラクタにしか見えないものを並べて、モノの話を始めた。
ちまたであるような単純な道具であったり、ブリキのおもちゃであったり、
ぱっとみるとどこがデザインか分からないようなものも、必ずとこかに「知恵」がある。
どんなものでもそれを作った「知恵」がある。それを見抜くところからデザインがある。
いくつかものをもってきて、最初ある程度自分で解読する方法を見せてくれる。
その後、学生にモノをわたして、成り立っている一番大事な部分は何でしょう?
デザインの一番大事な部分は何なのか、見抜く。
「腕時計」の一番大事なポイントは何でしょう?
腕時計のデザインをしている人は文字盤のデザインをどうしようと考えるが、
時計を「腕」につけたことが一番重要なこと。腕時計の前は懐中時計だった。
手首につけると0.数秒で時間を見ることができる。
時計を腕にもってきたことが一番大事なこと。
歴史的にどうやって生まれたかというと、ドイツの兵隊が、手榴弾を投げる時に、
安全弁を外して、秒を数える時に、懐中時計ではなかなか困るので、懐中時計を
自分で腕に巻き付けて使った。上官が腕時計が発注して作らせた。
商品として初めて作ったのはオメガだが、兵士の必要性から生まれたもの。
ものを解読するのはあたりまえだと思って、うけとっているモノを自明の部分を
考えなくなってしまっている。トンカチの形。
原始人が石を使っていた身振りが延長して、トンカチになった。
「コップ」を疑うことがから始める。これが成り立ったところを突き止める。
椅子はこれでいいのか?もっと単純でもっといい形は無いのか?
椅子はなんのためにあるのか? 名詞の部分から元をたどっていくと、
人間が座るのはなぜか? 足と背中の筋肉をリラックスさせるためにあるのが「椅子」
もっと自由に発想して、現在の椅子の形にとらわれないものを作ることができる。
モノの名詞から動詞になるくらいまで解読して自由な発想ができるようになる。
その時、どういう発想しなおすことができる。
今世の中にあるものを解読して、発想しなおすことができる。
モノを作る一方で、なんでも解読するような「病気」を学生に伝えたかった。
伊東:凄く大事なことだと思っていて、「いいデザインとは?」とかすぐに言うが、
固定観念のなかから出られなくなって、堂々巡りすることになる。
ハウスメーカーの建築を、建築家はだいたい「こんなもの!」と思っている。
それはそれで売れるために努力をしているのだが、どうしてそういう材料を使っているのか?
そういう建具をつかっているのかがわかるとよい
良いデザイン、悪いデザインというのを外して考えると
意外なところから、素晴らしいデザインが生まれてくるのではないだろうか?
伊東:「最終的にはデザインをしないことがベスト」と言っているが?
多木:デザインをやり尽した後に見えなくなっても悪く無いが、機能と効果は残っていて欲しい。
テーブルに置いたものがそのままでテーブルが消えてもいい。
照明の明るさがその明るさのままの光が残るなら、照明器具が消えてもいい。
伊東:プロダクトとしてデザインはしているだろ。デザインが無いわけではないけれど、
彼が理想とするのは、匿名なものになった時が最高。
その思想がデザインに表れるので、そのデザインが気持ちイイものとなっている。