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「生命にとってのデザイン」
「なめらかな社会のデザイン」 鈴木 健氏 @kensuzuki
今日の内容
1. 伝搬投資貨幣 PICSY 2部
2. 分人民主主義 divicracy 3部
3. 自然知性 4部
3. 生命から社会へ 1部
ええと、鈴木ともうします。1時間くらい話します。
なんでここに呼ばれたかというと、この本「なめらかな社会とその敵」を書いたからだと思います。
読んだ人?2名。
じゃあ、ちゃんと紹介した方がいいですね。
以前、この本をまるまる紹介する研究会をやったんですが、
7時間くらいかかりました。このペースだと、午前2時くらいになります(笑
まあ、ひとことで表現しづらいので、本を書きました。
ご興味のある方は最終的に本を読んでみてください!
なめらかな社会とその敵という本ですが、
今日は本の話をするのは辞めようかな〜と思っていて、
おそらく皆さんにとって、そもそもデザインとは?
僕自身はデザインセンスが無い社会を歩いているのですが、
社会のデザインというのを描いた本、普通の人が考える社会のデザイン、
デザイン全体の話です。おそらく、この本の内容は、
デザインという視点から話していくのがいいのかな〜と思います。
インタラクティブに。.. という話しなので、
「なめらかな」というのを宿題に出していたので、
観客A: なめらかなもの:3Dプリンターみたいなパーソナルファブリケーション、
DIY な手作り、大量生産みたいな世界の断絶をつなぐようなもの。
その間にある細かなもの、大量生産にいかないいろいろなもの。
3Dプリンターを使って、これは「なめらかだな〜」と思ったのは?
A: 山中先生の義足のデザインとかがなめらかだと思いました。
観客B: インドのエアコン、やたらうるさくて、扇風機とエアコンの中間のようなもの。
観客C: 縁側。境界があいまい。多様であり、空間を仕切る方にも、つなぐようにもなり、
多様性があり、とても滑らか。
A: でた!模範解答!
観客D: 飛行機に登場するプロセス。インドネシアの飛行機に乗ったんですが、
人手で支払ったり、プロセスを越えるたびに詰まっていって、遅かった。
時間がかかって、その結果空港の中の人全体が疲弊して.....
観客E: なめらかじゃないもの。普通の滑らかさじゃなくて、凄く気になるのは、
女性がトイレにすごく並んでいる。最適化、順番に処理されているのがあたりまえなのに、
トイレの場合、リソースの配分がうまく配られていない。
A: 行列きましたね〜
観客F: 蛇口。ひねって出る蛇口。ボタンとか、ON/OFFではなく、ひねる量によって、
水がでる勢いが変わるし、ON/OFF になるし。つまみ全般が滑らか。
なめらかという言葉が、日本語の滑らかという言葉が生み出す
多様性がいかにあるかというのがわかりました。今日はこれでおしまいにします(笑
その人が蓄積してきた、なめらかという言葉にふれあってきた蓄積が、
パッと脳に思いついた感覚があるので、どれが正解、どれが間違いというわけではない。
なめらかという社会を書くにあたって、
その時に感じたものは、ある種この世界に対する違和感があって、
その大きな違和感が、解消された世界を滑らかな社会と呼んだらどうか?と思いました。
ベルリンの壁:
これは、一種の象徴的な建築物なわけですが、
東ベルリンと西ベルリンが分かれていて、ドイツの中で入れ子になっていて、
壁が崩壊する前に、修学旅行でいきました。
入る前に感じていた違和感というのがあって。
いく二週間前に壁を乗り越えようとして銃殺されていた人とかがいて、
ある種、不条理な世界でした。
壁をひいて、家族がばらばらになったり、
もっとも象徴的な壁的なものです。
実際に、物理的に壁があって乗り越えられない。
乗り越えると銃殺刑。この手のものは、世の中いろんな壁があって、
大学入試とか、きれいに偏差値で足切りされて、それを乗り越えるか乗り越えないかで
人生が大きく変わります。そういう生きていく日々いろんな壁がぶちあたっては、
壁にぶち当たった時、壁を乗り越えるか壁を壊すか、壁の前で撤退するか、
迂回するとかはあるけど、何らかな形で壁を乗り越えるか、撤退するしかない。
建築物の場合、壁はわかりやすいですが、
社会制度や、慣習のレベルでも壁があります。
そういうものがもたらす色々な問題があります。
それがとても端的になったものが、近代国家です。
それまでは比較的、土地とかも厳密でなかったり、
アフリカの国境とか、砂漠で線を引く必要がなかったから....
近代になると、土地に線を引くのがヨーロッパからやってきて、
世界中線を引くことになりました。
それが良いのか?
ありとあらゆるレベルで問いていくのです。
このへんのある種具体的な問題意識をおいておいて、
いま言語化したような、わかりやすいものではなく、
もっともやもたしたものを考えているのです。
それが膜、境界をつくるという行為がどこから生まれたものなのか?
それを考えていた時に、さかのぼると、40億年くらいにさかのぼるのではないかと
考えて作った動画があるので、お見せします。
http://origin.sargasso.jp/
7,8 年くらい前につくりました。一晩で作ったものです。
ちなみに、音楽は渋谷 慶一郎も、映像はSRの開発者の鈴木君です。
そういう中で、相互作用が網の目のような社会じゃないですか。
そこをちぎって、一個の安定的なネットワークを取り出せるようにしましょう。
そのために「膜」があって、その膜の中に相互作用のネットワークを閉じ込め
網自身が、安定的な相互作用によって、保持する。
膜ができてしまうと、自分自身を維持するためのシステムとして駆動します。
もう一つは、複雑な相互作用があると、一つのノードが複雑なメカニズムのキーになります。
タンパク質、DNAの1bit を変えるだけで大きな変化があります。
これを「核」といいます。本当は網の目のような複雑な相互作用で動いているのですが、
核のようなものがあり、反復的にこういう事象が起きています。
生物、個体同士のインタラクションや、社会性や、反復的にこういうことが起きています。
壁を作る、境界を作る行為は、細胞が地球上で生まれたことによって
始まり、それ自体がルーツ、根が深いことなのです。
ベルリンの壁が細胞の壁になってしまいました。
全然関係ないわけではなく、似ているというメタファーということではなく、
生命が生まれてしまったことによる、生命的な帰結なのです。
僕らは生命である、細胞が壊れると死んでしまうのです。
細胞は、ネットワーク資源が大事、資源が稀少であれば、囲い込み、
個体はそうやって生きていくのです。
資源が稀少だと、囲い込んでいき、私的所有です。
細胞があるいみ資源を自分の中に囲い込んでいることをやっています。
インターネットの文化はシェアだと言っていますが、
フィジカルな資源を囲い込んで、その個体が生存するということを
否定してしまうと、その存在自体が消えてしまう。
こういう問題を考えるという本です。
こういう考え方を理解するにあたって、影響を受けたのが、
ウンベルト・マトゥラーナとフランシスコ・バレーラno
オートポイエーシスという生命理論です。
1974年の論文なので、セルオートマトンがあって、シンプルなモデルです。
一回膜が形成されると、資源を囲い込むことができ、そうすると膜が維持されやすくなる。
細胞の原始モデルのようなものをコンピュータシミュレーションでやったものです。
現代思想に絶大な影響をあたえた考え方です。
自分を維持する性質は、それ以上さかのぼることができません。
人生を生きて行く目的は、最終的には、自分自身の何かを維持すること、
その「何か」は移り変わっていきますが....
何かを維持しているわけです。
結局、壁的なものは不条理であることに違いないのですが、
その不条理性が、われわれが生命である以上、存在するもので、
自分自身を維持するものです。
みなさん、多細胞生物ですよね?(笑
つまり、そこから逃れることはできないわけです。
それを理解した上で、どう対処するか。
情報技術やデザインがその可能性を持っていると考えます。
その話しにストレートに行くまえに、
結局、細胞があります。シンプルに細胞があります。
その時に、どういう行動をとるか?
シンプルな細胞であれば、ブルブル震えている... とか。
それだけでは生き残れなくなるので、周りにある資源(濃度勾配)が
資源が多い方に向かっていくようになります。
グニグニ移動することができると、急速に生存率が高まります。
これが認知の始まり、周りを認識して、自分の行動を変えていく。
インプットがあって、行動していくという。
濃度勾配がある方に向かっていく方がいい。
単細胞でも、認知能力があり、そういう機能がどんどん発展してきました。
細胞膜があるよね〜というところから始まって、
膜の外にあるのがエンバイロンメント(環境)。世界が膜によって切り取られ、
外側を「環境」と呼びます。
次になにをやるかというと、その環境をいじりはじめます。
細胞の能力はたいしたことが無くて、
細胞と環境は分かれているが、もし膜が無いとすると、複雑な相互作用をしているだけになります。
そうしていると、中のシステムだけで複雑なことをやるよりも、
外部ないろいろなものを使った方が複雑なことができるので、
環境を使っていろいろなことをヤルことになる。
ボディ(細胞)を拡張する何らかの道具があるわけで、
マクルーハンの言う、身体の延長なんです。
なんらかの道具を使うことで、身体を延長することで、道具が生まれてくるのです。
一方で、エンバイロンメント(環境)の方を拡張していこうという考えもあります。
これが「建築」という行為です。
こういう行為をすることを、最近ではデザインと言うらしい。
世界が環境と身体で分離することによって、間を埋めることがデザイン。
環境側からと、身体側から考えるのがデザイン。
ファッションで見ると、身体性の延長としてのデザイン。
構築物としての建築、内装や家具とか、
それは程度問題。
いちど引いてみると、相互作用するある種のネットワーク、
神経ネットワーク、ダイナミクスがデザインされたもの。
建築や、道具をデザインしているわけではなく、
環境と身体のダイナミクスが結局のところデザインされていることになる。
そういう中で、人間以外の生命はデザインという概念を持っておらず、
原始レベルの学習機能を持っていたりしますが、
どんどんメタ化して成長していくものは地球上に無いですが、
ありとあらゆる生命はいろんなデザインしている。
多くのデザイナーが自然物からインスピレーションを受けたりしている。
デザインを実際にやっている人は、うるさく言わなくても
感覚的にスマートなアクションや知覚を意識して、
それを起きるものを作ろうと考えている。
なんで、大上段にこういう話しをしなければいけないかというと、
「壁」の話しから始まりましたが、
概念的に区別するもの、相互作用のネットワークです。
地と背景が反転するように、区別できないものです。
自己維持の仕組みがあれば、生命だと言えるわけです。
生命の定義から考える必要は全然ないです。
固魂というゲームが好きなのですが、
身体と環境が反転するのです。
周りにあるものを巻き込んでいくゲームなんです。
ボールが大きくなると、大きなものも巻き込んでいって、
建物全体を巻き込んでいって、
僕らが持っている、地が滑らかにつながっていて、
肌が境界だと思っているが、
多細胞生物なのだから。
ある種の認知が働いてくると、ここからここまでが自分だと考えになります。
必ずしも多細胞生物だからそういう感覚があるとは限らずに、
事故で自分の手を切ってしまった時に、自分の手があるように
思える事象。
自分の頭の中の声と認識できる?
たまに脳の中で誰かがしゃべっている?と思えるのが実は自然なこと。
それが統合されていることの方が実は凄いこと。
世界を境界で区切るというのがもっと滑らかになる。
ダンスを踊っている2人が、ダンスというものがあって、
2人のコンポーネントから構成されている動きとして考える。
人が動いているのか、60兆の細胞が動いているのか?
「前と違うこと言っている」と言われても、
たくさん細胞があるのだから、仕方ないのです。
自由を奪うことによって、社会的一貫性を保つとか、
それで社会がギスギスしていくのです。
社会のデザイン、コミュニケーションのデザイン、
全てのレイヤーで装置が設計されていって、
それらがお互いに支え合うことによって、
普通に見ている社会の生き方が、うまく回る仕組みが出来ています。
それはある種、生命を抑圧することによって出来ているのです。
それはしょうがなくて、そのかわりに、人類が得たものは、
社会的に協力を得るとか、
空気を読むと、コラボレーションができるようになって、
社会的になにかできるようになる。
一緒に狩りをするとか、できるようになる。
マキャベリ知能化説、知能とは社会性の高さ。
顔色を読む能力が生まれて....
顔が毛があると、表情を読むのに邪魔なんですよ。
人類の前の種に比べると、顔色が読みやすい。
目が黒、どの個体がどこを見ているのかが解りやすい。
わかられたくない人がサングラスかけますよね。
進化していない生物は目が黒くないんですよ。
どこを見ているのか行動が読めると捕食者が不利なんですよ。
サッカー選手のユニフォーム、足にピンクのラインを書いてあると、球筋を読まれてしまうんですよ。
集団的な行動をするときは、逆に読まれた方がいいんですよ。
社会的な知能が生まれたことによって、
社会性、我々の集団制もあって、
ダンバー(心理学者)が提唱して、
5人、15人、50人、150人、の単位で、社会集団というのがある。
ものすごく近い友人は 5人くらい。Facebook で 150人くらい。
そういう単位というのがあって、多くの集団生活から生まれてきていて、
人類も影響を受けているので Facebook があって、
Path は 最初 15人、今は 150人。
社会性が発達することによって生まれてきた集団性がある。
情報技術というのはいったい何かというと、
BODYがあって、環境があって、インタラクションするような
ある種の相互作用のデザインをやってきた。
ファッションや、ペンや、建築や、そこに圧倒的な自由で、
まったく関係ないものをコネクションすることができるようになった。
電子領域で関係性を持たせることができるようになった。
今までは物理的につながっているとか、骨がつながっているとかしかなかった。
脳が中央指令装置として生まれてくる前に、
中心的な脳というシステムが生まれて、I/O がいろんなレイヤーでつながって
インプットがあって、アクションを返すということをやっていたが、
今まではフィジカルな制限があったが、
神経系、ホルモン系で情報を行き来すること、相互作用、環境を変えたりできたが、
それが異次元のレベルでいろんなところが結びつく、
インプラントや、ナノテクでいろんなことができるようになる。
ブレインインタフェースだけでなく、体の中に何か埋め込んだり、
環境同士を埋め込んだり、
人間同士でなくてもいいし、環境同士でも、植物と動物同士で相互作用したり、
異次元な相互作用が可能なミドルウェアが生まれてしまったのがここ数十年。
社会的な膜のようなものを本当に維持する意味があるのか?
他にもいろんな問題があって、いろいろ守らなければいけないものもあって、
社会のコアシステムを変えていくと、どういうことがあるのかな?
と、13年くらい考えて、本にしました..... というのがこの本です。
■伝搬投資貨幣 PICSY
貨幣です。お金の仕組みです。
普通の貨幣とは何が違うのか?
決済貨幣はSECSY
決済は何なのか?決済すると、関係が切れる。取引をするのは環境を作ること。
お金というのは、縁を切るということ。
取引をすることで新しい縁を生むお金ができないのだろうか?
医者と薬の関係。
PICSYを導入すると、
治療した患者の収入が伝搬していく
価値がかけ算で計算できて、伝搬していくといいな.... と。
行列計算すれば、なんとか計算できるんですよ。
こういう貨幣システムを考えましょう....
ある2人が取引すると、世界中の全員の口座残高がかわるんです。
影響が伝搬していると考えると、経済的な貢献度が貨幣の価値として計算してあげるのです。
仮想的な Company
iPhone を買うと、Apple がうまく分配しているわけです。
PICSYは会社の境界を越えて広がります。
組織を仮想化することができます。
全体最適化できます。
PICSY はすべての取引が投資(現物出資)になります。
従来の売る〜買うという構造でおきるコミュニケーションは買手が神様。
PICSY では売り手は投資家。
従来の決済貨幣では、売り手は売れてしまえば買い手の広報はどうでもいいが、
PICSYでは買い手が高い価値を生み出せば生み出すほど利益が大きくなる。
最後まで責任を持つ形になる。
レント(超過利潤)
バランスによって生まれてくる。
PICSY全ての取引が投資になる。
2005年にワークショップをやりました。
はてなの中で、人事評価システムとして採用されました。
デジタルコンテンツとの相性。
Remix chain を逆伝搬して報酬を分配
オープンソース
オープンコンテンツ
ニコニコ動画
■投票システム
二億人の民主制。
有効投票率 30%
Facebook が規約を変えました。
退会した人のコンテンツも facebook でつかるという規約を変えたら、
バッシングされました。
30% を越えると有効投票率です。それ以下は勧告となります。
実際 0.3% しか投票がありませんでした。
Facebook の事例の教訓。
参加者の無知と無関心という直接民主制に内在する問題によって、
ネット直接民主制は早くも挫折した....
近代の民主主義の問題は、
直接民主制がワークするのは2-3万人くらい。小さな村とか。
あまりにもイシューが多すぎます。
日本でも年間100本くらい法律が制定されます。
一人で全部できないから、間接民主制をとります。
実際にはもっと複雑で、政党があって、利益団体があって、
深い階層の組織があるわけです。
フィードバックが遅くなります。
一票投票しても影響しているかどうかわからなくなります。
意見が異なってもいいから、まず結託して、仲間にしたとします。
実質的には決定力がなくって、実質「ゼロ」でもいいわけです。
30階層くらいで 10億人になるわけで、日本が支配できるわけです。
これが間接民主制の怖いところです。
構造を透明化してあたらしい仕組みを考えます。
Twitter の片方向リンクのように、ゆるい繋がりを作って、
1票を分割して投票。
受かった得票数の分の票を持つ仕組みにすれば良い。
一人 1票もって、委任していくと、票の強さによって、最終的に決まります。
主権のアドホック化したいわけです。
近代国家は主権性というのがあって、
アメリカの大統領は世界で最も影響を与える人で、
その人を選ぶ力があるのは、アメリカ国内の有権者だけです。
それはちょととおかしいだろ?と何となく思っているのですが、
方法は限られているのです。
結局は、外務大臣になって、ちょっと大統領と話すくらいしか、
影響力を与えられないのですが....
近代国家のメンバーシップという自己維持システムがあって、
昔は緩くて、自分がどこに属しているのかということがあまりなくて。
個人主義は正しいのか?
矛盾を認めない、過度に人格の一貫性を求める社会は、
認知的な生命体として人間をもつ多様性を失わせ、個人の中にある矛盾をますます増幅させる。
脳梁のおかげで右脳と左脳が一貫性を持つ。
Libetの実験「マインタイム 2005」何かをやろうとした意思の感覚と、
実際に運動する感覚を測ると、運動の方が 300msec 速い。
運動の準備が始まってから、自由意志が始まるのを発見して、
今でも論争になっている。
自由意志というのはそもそも、拒否権である。
あとから、何をやらないのかという拒否権を発せられるのが自由意志である。
ウェブナーの論文とかみるとおもしろいです。
個人で一貫しているのが実は不自然。
ばらばらな事柄を後から調停する方が自然。
Dividual
individual は in + dividual 分割できない。
Dividual だけだと、
Gilles Deleuze のエッセイ。情報社会論のエッセイ。ミシェルフーコーの説明。
規律型の社会
Postscript on the Societies of Control - Nyu
https://files.nyu.edu/dnm232/public/deleuze_postcript.pdf
別人格のことが書かれている。
マクドナルドの堅い椅子。居心地が悪いので、回転率が高くなる。
こういう貨幣システム、投票システムを話しました。
第一部は、生命から社会へ。
第二部は、伝搬と PICSY の話し、
第三部は、分人民主主義 divicracy
第四分は、自然知性
第五部は、軍事システム、法システムのこと
ということで、SmartNews をやっています。終。
Q. 社会の約束事を、ミクロでみつつ、現状の社会のあり方について新しい提案をしていると思うのですが、
1. 人間と動物の違い。膜というのをいろんなスケールの相似形で考えた時は、異なる仕組みがあるのか?
A. ミラーニューロン、猿にあるのか? 猿の実験で偶然発見されたが、チンパンジーにはあるのか?
いまだ論争になっていて、他者に共感するとかは、人間の方が発達している。
より高度な社会性、メタ的な見方ができる。ネアンデルタール人と人類はある時共存していたが、
いろいろ解ったと思うのだが、全部居なくなってしまったので、わからない。
メタ的な認知能力が圧倒的に発達したのが人類で。
ネアンデルタール人は死後の世界を持っていたかどうか、宗教性、目の前に存在しないことを認知していたのか?
メタ認知能力が大きいかな。
Q. 利他的インタフェースを研究しいて、血吸いコウモリは、自他的利己主義。
社会は、利他性が特長だとすると、動物にも利他的な行動がある。人間にもあるが、
その違いは何があるのか? トイレの待ち行列の話し。利他的利己主義が人と動物の違い。
人間は社会の反応として行動するのではなく、社会性を選ばないという選択肢もあり、
社会性があると考える人もいて、認識が個人にあるのではないかと、
動物の方がなめらかさを持っているのでは無いかと思っている。
A. むずかしい話しで、希望的スタンスとして、人間と動物と区別したくない。
でも何かあるよねというのは認めざるを得ない。
利他性という話しをすると、利他的、ある種.... 集団虐殺できる人は居ますか?
.... と思うでしょ? それは人間的なところだと出来るが、集団ヒステリーみたくなると、
できるようになってしまう、環境を作られてしまう。
Q. 究極のなめらかな社会は?
A. 膜も核も無いんだろう? 複雑性というものでいうと、
技術で複雑性を拡大する余地が拡大する。無制限の複雑性を許容するのか?
情報技術で社会がなめらかになるのか?
技術的に可能なところまでしか、なめらかにならない。
世界は完全に複雑なまま。何かしらコストがかかるから。
局所的にゼロに近づくことはできるが、原理的には無理だが、数億年レベルではわからない。
Q. なめらかな社会は、複雑なものを複雑なままで扱う。貨幣システムや投票システムは、
正しいです。と言われたとしても、個人として信頼できる、納得できるのか?
A. 認知限界があるので、人間は納得してしまうのではないかと。
納得感は高いと思う。納得感を持つのが幸せかというのも、別の問題で、そちらの方が大切。
今はだれもが納得していない部分がある。「不当に評価されている!」と思っている方がいい場合もある。
人間の生命力を活性化するためには納得感が無い方がいい場合がある。
Q. twitter とか facebook とか集団制のクセとか、層のような集団性があって、
そういう多層化、多軸は、昔もあったのか、スケールが変わったのか、何層もあるのか?
なめらかな社会といった時に、あたらしく言った層に、支配的な層との関係性をどう持っていけばいいのか。
A. 多層的なには、昔からそうで、昔の方が多層性があったかもしれない。
近代の法が層が少なくなったかもしれない。近代は一貫性を保たざるをえなくなった。
ダイバシティーを増やしていく。
ザッカーバーグは、世界で唯一の IDとか言っているけれども、どの中で生きる必要は無いという
一貫性は必要ない。昔の方が一貫性が無かった。
下のレベルで多様性を増やしていくしかない。
Q. 生物の再定義ができるか?理想的ななめらかな社会のあり方を描いて、そこから機能的にスケールダウンしていくとして
理想的な社会を構成できるものを再定義
A. 理想的な社会があるとすれば、きれいなビジュアルイメージは無いですが、あまりにも今は
人類とそれ以外を区別しすぎている。境界をもう少し考えた方がいいなと思うし、
人類以外の生物同士のインタラクションも。
以外と他の生命同士でもけっこう仲が良かったりするんですよ。
僕らが統計的にとらえると違うが、インタラクションはもっと違って、もっと拡大していく方法はあるなと考えていて。
ザンガ・サンガ密林保護区に住むピグミー
http://wired.jp/2012/04/01/great-animal-orchestral/3/
いろいろ合唱できる。技術を使うともっと拡張できる。
ニール・ハービソン:「僕は色を聴いている」
http://www.ted.com/talks/lang/ja/neil_harbisson_i_listen_to_color.html
色盲の研究者、色を音に変換して聞く。
僕らが他の生命体とコミュニケーションする方法は限られています。
人間の五感に束縛されているが、拡張すると、花の気持ちになるとか、蝶の気持ちになって香りを嗅ぐとか、
そういうことによって、新しいコミュニケーションができるのではないかと思っている。
Q. モデルの中に時間のファクターが無いのですが、時間の流れの中でどのようなことが起きるのか?
振幅とか、収縮と拡散とか。なめらかなシステムだと? 意思決定のシステムが多層化しているのか?
フィードバックのループが遅い。自動運転のシステムが出来たとき、民意みたいなダイナミクスが
そういうことが起こるのか?起こらないのか?
A. レイテンシー、ディレイ。
起こりにくくは成ると思う。モーメンタルなものが小さな世界の中では起きる。大きなモーメンタルになる必要性がない
人生に大事なことを良くするのに、大きなこと、世界全体を見なくてもいい。
局所的な領域でやっていけば。そういう感じです。
Q. 貨幣の話し。それが何かメリットになるか、利益になりやすい。関係性を創り出すことで周りととらえる。
PICSYみたいなものが自然な形で周りにメリットがある。
A. 人間のコミュニケーションの概念。関係性が生まれること、全体性みたいなもを強くもった。
連帯で想像するのは、ローティ。自分と違うということで、共感する。
.... 考えておきます .....