2/07/2015

[&] FITCTokyo 2015 - David OReilly



#FITCTokyo 2015 デビッド・オライリー講演 The David OReilly lecture
with David OReilly
----------------------------------------------

この講演の目的は、私が皆さんを説き伏せることではありません。
これまで作ってきた作品のことは言いません。
ハイクオリティな画質で観ることができます。
なので、作ったものを紹介するのは意味が無いと思います。

アーティストとして生き続けることを伝えたいとおもい、
それが有益なことになればうれしい。
これからアーティストになろうとしている人、
作品の方向性を変えようとしている人にとって有益ことを伝えたい。

今日はアーティストということについてお話ししますが、
全ての人がアーティストとしては名乗っていません。
プログラマの人もコンセプトアート作家の人もいると思います。
肩書きというのは範囲を制限し、私たちが何なのでは無いのかという現実を
突きつけてきます。
仕事では様々なことがらをやっているののに、
肩書きのせいで、そのことしかしていないと思われてしまいます。

私たちは経歴表記を強制されます。
映画祭でも、Twitter のアカウントでも、自分が何なのかを
言い続けなければいけません。
人はなんでもできる、驚くべき存在なのに、
環境にしたがって変化していくのに、
矛盾があるのです。
死んだ後に、やっと固定化するのです。
人々がそれぞれ違っているのです。

こういったレッテルとアートは正反対です。
それを証明する例はいつでもあげられます。
自分自身が携わっているプロジェクトがあって、
それにタイトルをつけようとすると、なかなか難しいと思います。

具体的な側面や、何をすべきかわかっているのに、
名前だけがなかなかつけられません。
ジャンルやカテゴルが決まっていることで仕事するのがフラストレーションがたまります。
深いところにある作品、
表面的に似ているものがあったとしても、無理にカテゴリに分けるのは違和感があります。

レッテルというものは私たちを分けていきますが、
クリエイティブに関わる人は、
インスピレーションがわいたり、自分や世界に対して葛藤をかかえるのは皆同じです。
アーティスト達が集って、自分たちがしていることが何なのか?という対話の場が生まれるのです。

まず、キャリアを始めることについて話します。
アーティストを始める条件はありません。
貧乏も、金持ちも、
貧乏なアーティストは時間やお金が無かったり、
お金のある人は、非常に困難な課題を最後までやりきる忍耐力が無かったりします。

こういうことも言えます。
普通の人の豊かな環境がアーティストにとっても豊かな環境であるとはいえません。
人生における困難が、アーティストとしての私たちを作り上げています。
お金、嫉妬、エゴ、孤独、そういった内的なものです。
重要なのは、昔と今の環境がアーティストとして決定的な要因ではありません。

アーティストは言語に似ています。若ければ若いほど多くの言語に対応できますが、
年をとってからはそうではありません。

アーティストとしてキャリアをスタートさせる時、
自分自身が挑んでいる領域を再発明するのです。
先行を裏切ることで、
自分のやっていることをルール化し、
過去の時代の人たちは次の時代の人たちに抵抗しようとするのです。

だからこそ、アーティストであろうとしようとするのであれば、
権威をうけいれず、善悪を諭す人がいれば受け入れてはいけません。
自分自身以外は。

つまり、皆さんの領域は「不安」をかかえているシステムなのです。
新しいシステムには戦いや葛藤があり、
本当の意味で新しいことは、たくさんの人に受け入れたり理解してはもらえません。

アーティストの人生をスタートするのであれば、
孤独、プレッシャーを受けずに作品作りをすることが絶対的なパワーを得るのです。
有名アーティストがうらやましいと思うかもしれません。
そういう有名アーティストは、若いアーティストをうらやましいと思っています。
実験する自由、今までと違うことをする自由があるからです。

多くの学生ができるだけ早く業界に入ろうとしています。
アーティストよりも、クレヨンをもった子供の方が自由があるのです。
業界に入るとヒエラルキーの端に居ることをイヤでも実感します。

だから、自分自身で創作を行える可能性を過小評価しないでください。
誤解があったり、評価されないかもしれませんが、焦る必要はありません。
学生ではなく仕事をしていないのであれば、社会人として問題があるのではないかと思われますが、
そうではありません。

高等教育を受けなくてもいいのです。
沢山のお金を払って、美術の修士号とかかれた紙切れ一枚です。
認識すべき真実は、自分自身で学べるのです。
手助けしてくれる人は必要です。
でもそれは美術の先生ではありません。

美術が学校は可能な限りのテクニックを推奨します。
学ぶプロセスを、永遠の探りの可能性でしかありません。
そのテクニックをなぜ使わなければいけないこと自身は教えてもらえません。
あなたにあったテクニックもわかりません。
テクニックをただ単に創造性もなく再生産していることでしかありません。

自分自身で孤独に作品を作る経験、
創作のプロセスをどれだけ楽しもうと単位はもらえません。
しかし、創作のプロセスこそが大切なことです。
何もしないことも大事です。
お金を生み出さない行為をしていたことが
本を読んだり、人とあったり、妄想したり、
それらが自分自身を形作ってくれる時間なのです。

芸術を学ぶプロセスは
自分自身の関心を辿っていくことがきわめて重要です。
他の人の関心を追うとフラストレーションがたまるものです。

皆さんが概念的な思考に興味が無いのであれば、
興味のあるテクニックを磨きましょう。
そうでないならば、自分で概念的なものを作るのです。
それらを作る課程で、必要なものが着いてくるはずです。

私たちは皆、仕事の仕方をそれぞれ繊細な考え方を持っているともいます。
家族や学校がネガティブな影響を与えてはいけません。
芸術的な仕事は、一般的な仕事とは異なります。
工場労働とは違います、好きだからこそやるベキなものです。

芸術的な仕事はとても困難です。
さまざまな誘惑が待ち構えています。
気晴らしはひとそれぞれです。
ひとつ言えるのは、完全に逃れることはできません。
批評家が居るのはそのせいです。
芸術的なのは困難なのを解っていない、
最も怠慢な芸術家です。

最も創造的な仕事は二つの部分にわけられます。
考えることと行動です。
どちらかをやり過ぎてもいけません。
理論だけ先行して、行動が伴わない、
考えずに行動して、終着点が見えなくなってもいけません。

最近でてきた 新しい問題もあります。
歴史上、もっとも多くの創作の環境があるということです。
デジタルをベースとしたもの、ツール、装置があります。
似通っていますが、手段だけは沢山あります。
自分の時間をどこに費やすのか、ギャンブルのような、
困惑する状況です。

芸術の歴史とは、ツールの進化の歴史であり、
テクノロジー、アイデアの歴史であり、
芸術家のリアリティであり、テクノロジーで表現されているからです。
時代の最初のテクノロジーを使わなければいけないわけではありません。

何が新しいのか?よりも
自分の理想は何なのか?
どの媒体が一番表現できるのか、
一番自分を楽しめるのか?

そのテクノロジーがいったいどういう問題を解決してくれるのか?
言い換えると、そのテクノロジーが無ければ表現できないものはあるのか?を考えてください。

テクノロジーは民主化された?作り手は増えた。
以前よりも創造的になれる選択肢、
時間は少なくてすむようになっていますが、
偉大な芸術作品を観る時間が、テクノロジーを選ぶ時間に使われてしまっています。

まえの時代と比較されます。
YouTube 登場以前は、動画配信は難しかったとか。
インタネット以前は、なんだとか。

私たちが思いだすのは「ペン」もテクノロジーです。
ペンが生まれたおかげで、文学、絵画、詩、などです。

お金について話そうと思います。
お金はクリエイティブな世界で大きな影響を持ちます。
アイデアを持つ人が貴重なのです。
お金が無い時代でも芸術は存在するでしょう。

もちろんアイデアがあって、形にする手助けをお金があります。
お金はトレンドが長続きするのを手助けします。
お金はアイデアの残りかす。
後からついてくるもので、お金自身はアイデアを生み出しません。

あらゆるトレンドは、始まりをみてみると、
お金と関係ないところから始まっています。
商業化、巨大化して後悔する人があります。
新しいアイデアはお金とは無縁です。
どれだけ創造的なアーティストであっても、
新しい領域を開拓することではなく、成功例を繰り返すことです。
繰り返すことは利益を生み出しやすいのです。

商業のフィールドでのみ仕事をする多くの人は、
利益について話すとき、なぜそこにお金があるのか、
芸術から盗むことによって成り立っているのです。

彼らのほとんどは、アーティストとして失敗しているのです。
商業的な仕事が悪いといっているのでありません。
コントロールできなくなるのが良くないのです。

始めに行ったとおり、理想的な環境はありません。
商業でも、インディペンデントでも。
かかわる環境にいます。
仕事を定義することも、他人と比較すること、
過去の選択を悩むこともありません。

不安定さに、救いを感じるのです。

なによりも重要なのは、作品、テクニック、関係性を養い、
起きたらすぐに創作をしたくなっているのか、
努力、邁進できるのか?
それが才能よりも重要なことです。

Her - Alien Child / Hologram sequences from David OReilly on Vimeo.