2/07/2015

[&] FITCTokyo 2015 - Sougwen Chung



#FITCTokyo 自撮り(自身を媒体としたエクスペリエンス)の時代
with ソウゲン・チュン Sougwen Chung @sougwen
http://sougwen.com/

Sougwen Chung, Chiaroscuro (Installation), 2013 from sougwen on Vimeo.


わたしは NY 出身で複数の分野のアーティストです。
セルフィーの時代 experience を伝える時代です。
IFTC の皆さんに感謝します。

数年前に日本にきて、オーディオビジュアルショーをしました。
この都市の独特な感じが自分を元気にしてくれました。
アートとテクノロジーの融合で、活躍するアーティストです
具体的にはどういうことなのか?

アートとテクノロジー、この場を与えられたのも興味深く、
それぞれの立ち位置からどうなるのか?
私自身もスクリーンばかり見ていましたが、物理的な空間が好きで
インスタレーションも手がけ、
バイオリン型のコントローラで照明をコントロールできるもの、
絵を描くことで、照明が変わるような空間。

絵の具、油絵や作曲。文字。
こういった媒体を手がけることで、異なる視点で探索することができると感じています。
様々な作品から、クリエイティブな体験そのものを得ている。

プロジェクションマッピングのようなハイテクなもの、
紙を使ったローテクなものも。
クリエイティブな事柄をつなげていくこと、
メッセージを伝えること、
作業過程をオンラインで共有もしています。

オンラインに記録していくのは、自分の記録であるということも、
アートパフォーマンスだと思っています。
皆さんもオンラインで痕跡を残していると思います。

それがセルフィーです。
セルフィーがいたるところでみられ、セルフィーはいたるところで見られます。
セルフィーの撮り方が感染したりしますよね。

猫も!
自分のキメ位置があったり
イスタグラムでも、みなやっているでしょう。

セルフィーのトリビア。
1893ねん、ロバートコーネリアス。
全く新しいものでは無い。

1966宇宙で初めて。
Buzz Aldrin のもの。

タイムマガジンにおると、フィリピンが一番多い。
NY は 2番です。
NYの渋谷みたいなところ出身なのですが、当然だと感じます。
三番は、マイアミです。もっともセルフィーな街です。

これはグローバルな現象です。
セルフィー棒、スキャンダルも、措置も増えています。
アーティストは何十人もセルフィーを撮ってきています。
自分自身のアイデンティティーとして。
デジタルで、アーティストの作業が一般化した。

レンズの向こうからはどうみえている?
インターネットだと、年取っても残っています。
一瞬の注目が永遠になってきます。
ネットの中のパーソナルストーリがどうなってきたのか?
ジョナサンハレシのインフィルファインというプロジェクト。
インターネットでどう捉えているのか視覚化したプロジェクト。
ストーリーであり告白であり、恐れを描いたもの。
セルフィーの前は個々別々のものでした。

ジョアンマックネールがネットのサーフィンの概念を打ち立てました。
インターネットの進化をどうして、どうなってきたのか?
例えば 1990年代には、ネットサーフィンに夢中になりました。
2000年、さまざまなコンテンツが載ってきて、溺れ始めました。

ここ数年ネットダイビングをするようになってきました。
どういう意味なのか模索するようになってきたのです。
そういった中でセルフィーが登場したのは、
パーソナルストーリーにどういう影響を与えるのでしょうか?

子供から、大人、自己表現の状態やよりディーブになったのでしょうか?
自分自身をとらえることがセルフィーで変わったのでしょうか?
SNS の時代になり、生活の一部になりました。
現実から目を逸らすことになっている?
もともとは掲示板から、Facebook へ移ってきているところから、
現実とオンラインの境界線があいまいになり、
私たち自身が分身してきます。
セルフィーの時代、写真を生活の中にオンラインに出していくことで
境界線が曖昧になってきます。
アイデンティティを打ち出し、体験も表現します。
自分たちが美しいと思うこと、あからさまで生々しいこと。

携帯電話の小さなレンズを使って、これが私が大切に思っていることよ!
これが私自身なのよ!とか、
より興味深く、私はこんな風になりたいの!を表現しています。

これは写真の Hello World ! のようなものです。
Web のセルフシティーというプロジェクト。
アルゴリズムを活用し、セルフィーのムードをパターン化していき、
5つの都市で解析しました。
統一したニコニコ顔を集めました。
平均値などをはじき出し、アイデンティティを見ていきます。

セルフィーもアルゴリズムを使って数値かするとはどういうことなのでしょう?
こういった写真をとおして、異なる都市でつながる?と思うのですが、
実際はどれだけ離れているのかがわかります。
でも、私たちのユニークさが無視されてしまいます。
私たちが大事に思っていること、どういう個性を持っているのかを
全部拾うことができます。

テクノロジーが良い悪いという話しではありません。

アルゴリズムをイデオロギーとして実現できる方法があるのではないのだろうか?
私自身好奇心いっぱいです。
異なる視点から見る事がアートとして出来るのでは無いだろうか?
表現する際、曖昧化して、数値から解き放つことができます。

目的をもってアートを手がけ、課程も楽しんでいます。
その瞬間を伝えるだけでなく、課程も。
テクノロジーから生まれる不安感を払拭してくれるのが絵です。
文字も書きます、空間づくりも、音楽も作ります。
手で残した印と、マシンの印。
課程も大切にしています。
作っている瞬間。
ピクセルやフォーマット、マシンで読み込み可能なことではなく、
より真実をつかむことができます。

数値かはファクトの一つ、事実では真実は伝わりません。
表装を作ることができますが、真実を伝えるのは違います。
ディープなトークになってしまっていますが....

形状には意識が埋め込まれていると考えています。
形状を作ることで自分の現実を変えることができます。
作品は瞑想的で様々な場所で作っています。
意識の形状でその場の空間を満たしていきます。
非常に難解複雑で儚いものです。

旅行の時、周りに友人が居ないというメッセージがスマホに表示されます。
ネットの接続もなく、ファイルも空で。
存在論の危機。

これをゴススクリーンショットと呼ぶことにしました。
500ぐらい集めました。
アパレルライン(服)が出ました。
ピクセルを通した新たな瞬間をつかみました。

HIGHTSNOBIETY アニマルハンティングなどにも紹介されました。

テクノロジーを使うのは、自分の心が空っぽになってしまうということです。
スクリーンショットだけでなく、いろいろあります。
全ての素晴らしいアートには、内製、心の中を見つめ直すもの。

そのような形でテクノロジーを活用できれば....
ここでいっている Long Queue というのは長い視点で取り組むのが良いです。

人の側面とソフト、ハイテクを結びつけることもしています。
人の要素を空間、人の要素を結びつけることをしています。
こういったアートとテクノロジーの交差点で作品を作るのは面白いことです。

MIT Media Lab ソーシャルコンピューティングラボにこれから参加します。
ネットワークやインターネットを見据えた時に、あいまいなデータを沢山使いながら、
自分を非数値化しながら探索するのを興味深く思っています。

このセルフィーの時代において、どうやってパーソナルストーリーを描けるのでしょうか?
自分の体験をクリエイティブに、みながびっくりするように、
でも内を見つめるように、表現するにはどうしたら良いのでしょうか?

私たちは自分たちが媒体です。スクリンーンが媒体なのではありません。
セルフィーを通して、自分の体験、経験を伝えることができます。